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在日朝鮮人が「4・3」を語るということ : 済州島にルーツを持つ在日朝鮮人二世知識人を中心として
https://doi.org/10.24544/ocu.20171221-002
https://doi.org/10.24544/ocu.20171221-002bd9bfc38-d621-4d62-83b5-1d56e51f89fc
名前 / ファイル | ライセンス | アクション |
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![]() |
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Item type | 共通(1) | |||||
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公開日 | 2017-12-19 | |||||
タイトル | ||||||
タイトル | 在日朝鮮人が「4・3」を語るということ : 済州島にルーツを持つ在日朝鮮人二世知識人を中心として | |||||
言語 | ja | |||||
タイトル | ||||||
タイトル | ザイニチ チョウセンジン ガ 4・3 オ カタル トイウ コト チェジュトウ ニ ルーツ オ モツ ザイニチ チョウセンジン 2セイ チシキジン オ チュウシン トシテ | |||||
言語 | ja-Kana | |||||
その他のタイトル | ||||||
その他のタイトル | The Study about a Narrative of Jeju 4.3 by Zainichi Korean Intellectual. | |||||
言語 | en | |||||
作成者 |
鄭, 栄鎭
× 鄭, 栄鎭 |
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内容記述 | ||||||
内容記述タイプ | Abstract | |||||
内容記述 | 1. はじめに : 朝鮮半島最南端に位置する韓国済州島と日本との関係は近い。永野は統計などをもとにして、日本国籍取得者を含めて、済州島人口の約27%に該当する15万人程度の済州島出身者が日本に居住するとしている[永野 2010]。古くをみれば、日本の植民地統治下の1923年に開設された済州島・大阪間を結ぶ定期航路の開設が済州島民の日本への移動の一因となっている。1930年時では島民人口の5分の1が日本在留であり、しかも生産年齢人口がその中心であったとされる[杉原 1998: 85]。このような、植民地期に日本に渡ってきた済州島民やその子孫などが、現在の日本に居住する済州島出身者の中核を占めているのは明らかであろう。しかし、他方では、植民地支配解放後にも多数の島民が日本に移動した時期があるという。1948年の「4・3」である。「4・3」を簡潔にいえば、「1948年4月3日の済州島での武装蜂起に端を発し、その武力鎮圧の過程で3万人近くの島民が犠牲となった事件」である[文京洙 2010a]。…… | |||||
言語 | ja | |||||
出版者 | ||||||
出版者 | 大阪市立大学人権問題研究会 | |||||
言語 | ja | |||||
言語 | ||||||
言語 | jpn | |||||
資源タイプ | ||||||
資源タイプ識別子 | http://purl.org/coar/resource_type/c_6501 | |||||
資源タイプ | departmental bulletin paper | |||||
出版タイプ | ||||||
出版タイプ | VoR | |||||
出版タイプResource | http://purl.org/coar/version/c_970fb48d4fbd8a85 | |||||
ID登録 | ||||||
ID登録 | 10.24544/ocu.20171221-002 | |||||
ID登録タイプ | JaLC | |||||
関連情報 | ||||||
識別子タイプ | NCID | |||||
関連識別子 | AA11571246 | |||||
書誌情報 |
ja : 人権問題研究 en : The journal of human rights 巻 15, p. 69-81, 発行日 2016-03 |
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収録物識別子 | ||||||
収録物識別子タイプ | ISSN | |||||
収録物識別子 | 1346-454X |