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  1. コンテンツタイプ
  2. 紀要論文 / Departmental Bulletin Paper
  1. 大阪市立大学
  2. 文学部・文学研究科
  3. 紀要
  4. 表現文化

文学と倫理 : 「経営者」ロビンソンを倫理的に読むと

https://ocu-omu.repo.nii.ac.jp/records/2006482
https://ocu-omu.repo.nii.ac.jp/records/2006482
60443f38-27b1-4b7d-9bfa-90b7c5721c42
名前 / ファイル ライセンス アクション
111E0000020-2-1.pdf 本文 (401.6 KB)
Item type 共通(1)
公開日 2024-09-09
タイトル
タイトル 文学と倫理 : 「経営者」ロビンソンを倫理的に読むと
言語 ja
タイトル
タイトル ブンガク ト リンリ ケイエイシャ ロビンソン オ リンリテキ ニ ヨム ト
言語 ja-Kana
作成者 荒木, 映子

× 荒木, 映子

KAKEN2 1000050151155
RESEARCHMAP ArbreSauvage

ja 荒木, 映子
大阪市立大学

ja-Kana アラキ, エイコ

en Araki, Eiko

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内容記述
内容記述タイプ Abstract
内容記述 「企業倫理」について考えたことをきっかけとして(後のエッセイ「企業の品格」参照のこと)、倫理という観点から、デフォー(Daniel Defoe)の『ロビンソン・クルーソー』Robinson Crusoe(1719)と、クッツェ(J. M. Coetzee)『敵あるいはフォー』Foe(1986)を比較してみたいと思った。といっても、文学は道徳的であるべきかどうかというような問題設定(そういうことにはあまり興味がない)をするのではなく、それぞれの作家、あるいは物語における倫理のあり方とそれへの問いかけを問題にする。デフォーの場合には、孤島での生活を生き延びたクルーソーの物語が、今日のポストコロニアル批評の立場からは、征服と簒奪の物語として読めることを、また、クッツェは、eが欠落したCrusoを登場させ、次々とクルーソー物語をつきくずすことによって、何を言いたかったかを問題にしようと思う。作家自身が意識しなくとも、物語が倫理的問題を惹起したり、物語るという行為や読むという行為がいやおうもなく倫理とかかわってきたりするからである。
言語 ja
出版者
出版者 大阪市立大学文学研究科表現文化学教室
言語 ja
言語
言語 jpn
資源タイプ
資源タイプ識別子 http://purl.org/coar/resource_type/c_6501
資源タイプ departmental bulletin paper
出版タイプ
出版タイプ VoR
出版タイプResource http://purl.org/coar/version/c_970fb48d4fbd8a85
関連情報
識別子タイプ NCID
関連識別子 AA12144546
書誌情報 ja : 表現文化
en : Culture and Representation

巻 2, p. 3-19, 発行日 2007-03
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Ver.1 2024-10-11 02:37:09.535192
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